日帝強制動員歴史博物館を訪れた。

場所は少し複雑かもしれない。ただバスに乗って行けば博物館前まで行ける。少し高台にあるので眺めは綺麗だ。

博物館の横にはUN平和祈念館があり、中には朝鮮戦争についてとUNについての展示があった。

先日、とある博物館を訪れた。
そこでは、1938年の国家総動員法が朝鮮にも適用されて以降の強制動員について、資料や証言が展示されていた。
展示は「植民地支配全般」ではなく、まさに「強制労働」をテーマにしており、当時の過酷な現場の実態を知ることができた。

博物館で見たこととSNSとのギャップ

展示を通じて、朝鮮人の方々が日本全国の工場や鉱山に動員されていたことを改めて実感した。
僕はSNSで「朝鮮人は日本人と同じように明細書をもらって、同じ待遇を受けていた。」という情報を見たことがある。

その点について博物館には確か取り扱ってはいなかったが、僕なりにネットで調べてみたところ、朝鮮人と日本人の間で差があったということだった。

給料が発生していても「強制貯金」「供託金」として差し引かれ、終戦時に支払われなかったケースが多数だという情報が出てきた。また、日本人と同じ給料でも劣悪な生活環境であったり、朝鮮人が主に危険作業を担当していたりと日本人との差、差別があった。

実際に強制労働所であったところに行っても、朝鮮人の劣悪な環境下での労働についての証拠が残っており、展示されていた。関東大震災の朝鮮人大虐殺の件もあり、やはり朝鮮人に対する差別が盛んに行われていたことがわかる。

加害史をどう記憶するか

関東大震災での朝鮮人虐殺もそうだが、やはり当時の日本社会には朝鮮人差別が根深く存在していた。
それにもかかわらず、日本にはドイツのように加害の歴史を正面から扱う国立博物館が存在しない。
この背景には、戦後日本に大きな影響を与えたアメリカの冷戦政策、そして自民党を中心とする政治の流れがあるのだと感じる。

「大東亜共栄圏」という思想の虚構

「欧米列強からアジアを守った」「独立を支援した」という言説を耳にすることがある。
しかし実際には、

  • 資源の収奪
  • 現地の独立運動の抑圧
    といった帝国的支配が行われただけであり、アジアの人々にとって「共栄」ではなかった。

韓国だけでなく、フィリピンや他のアジア諸国でも日本への批判が根強いのは、その歴史的事実ゆえだろう。
韓国のみならず、他国日本社会の歴史博物館を訪れても日本に対して猛烈な批判をしているのは確かである。

ホステルではあるフィリピン人と同じ部屋になった。フィリピンも日本から多大なる被害を受けた事は確かであり、僕に対して植民地支配についてどう思っているのか尋ねてきた。

今の日本は日帝を賛美する参政党の勢いが増していることもあり聞いてきたのだと思う。

ということで日本はアジア諸国の繁栄と独立に貢献したという考えを疑うべきである。

僕自身の立場 ― 世界市民として

僕は日本人だが、「日本人であること」は単なる区別に過ぎず、偶然にすぎないと考えている。
だからこそ、自国にとらわれずに物事を判断している。僕は自分を世界市民(コスモポリタン)だと思っている。

逆にナショナリズムには二つの形があると思う。

  1. 過去の誤ちを認め、自国を尊重する立場
  2. 過去の誤ちを認めず、自国中心の忠誠を掲げる立場(自国の不利益な事は避ける、見てみぬふりをしているのではないか。)

今の日本社会では、残念ながら後者が強まっているように見える。
「虐殺はなかった」といった歴史修正主義の言説が広がっているのもその一例だ。

未来に向けて

僕は、過去の誤ちを学び、再び起こさないように働きかけること、未来に生かすことが現代を生きる日本人の責任だと考える。もちろんこれは日本人のみに言えることだけではなく、全世界の人たちもだろう。

戦争によって大きく儲かる企業が存在する。その企業と政府が連携するとその国は戦争へ進んでいく。軍事主義化を防ぐためにも、戦争によって一番被害が出る一般市民が連帯して政府を監視していかなければならない。

日本でも、加害の歴史を含めた戦争教育がもっと充実してほしい。
それこそが、未来に責任を持つ私たち現代人の使命だと考えている。

高校3年生の時に一度訪れた。このYouTubeは当時の動画。